帰国子女枠合格体験記④小6から合格まで中学受験に挑戦した本当の理由
2020年1月に次男が渋谷教育学園幕張中学校高等学校の帰国枠入学に合格しました。
嬉しすぎるので、どうでもいいかもしれない0歳から合格までに至る、血と汗と涙のウィニングロードを綴った狂喜乱舞の記事です。
※注意!!!!:マジメに帰国枠受験・英語教育に興味のある方のお役に立てるよう、内緒にしておきたい恥ずかしい話も全て暴露致しております。恥ずかしいので、くれぐれも、身元を探らないでください。
次男の誕生から合格に至るまでを、誕生から合格まで下記の通り4回にわたって振り返っています。
いよいよシリーズ最終回です。
前回および他の記事は下記リンクよりご覧ください。
帰国子女枠合格体験記① 0歳から年中〜日本でも英語に触れられる環境を
帰国子女枠合格体験記② 年中から小2〜アメリカで楽しくバイリンガル教育
帰国子女枠合格体験記③ 小3から小5〜日本語キャッチアップと英語力保持
帰国子女枠合格体験記④ 小6から合格まで〜中学受験に挑戦した本当の理由(この記事)
帰国子女枠合格体験記④
小6から合格まで
3年生から5年生まで日本で過ごし、6年に上がる春に三度目の駐在でアメリカに引っ越しました。
引っ越してから受験が終わるまでの9ヶ月にどのような取り組みをしたかをご紹介します。
- 目次
1. 帰国時期を見据えた対策
・高校帰国子女枠を視野に入れて
・学習塾のオンライン授業
・補習校をやめてスタディサプリに
2. 現地校も受験を意識
・学年は一つ上にしても「簡単すぎて眠い」
・カリキュラム進度の早い中学校へ
3. 急遽受験を思い立つ
・中学校の進度・宿題に親子で悲鳴をあげる日々
・チャレンジをするだけでも
4. すったもんだの受験
・12月受験〜不合格
・懲りずに1月受験を決定
・狂気から悟りに至った直前期
・「今度こそ、受かったと思う」の言葉通りに
5. まさかの出来事
1. 帰国時期を見据えた対策
高校帰国子女枠を視野に入れて
毎回ですが、夫の会社では帰任時期が予定されており、ほぼその予定通りの帰任となります。今回は4年と決まっているので、高校受験帰国受験枠チャレンジを視野に入れて、赴任前に帰国子女アカデミーをはじめ、帰国子女教育専門の機関に、どのような準備が必要か問い合わせました。
結果、以下のことがわかりました。
高校の帰国子女枠は英語力よりも国語・数学の力を重視。
なぜなら、3年間で日本の勉強が大学受験の準備に間に合わなければならないから。
中学受験では、受験資格となる「海外で過ごした期間」が2〜3年、という学校が多い中、高校受験は1年という学校がほとんど。高校受験までに人生のほぼ半分をアメリカで過ごすことになる次男にとって、かなり状況は厳しく、気合いを入れて日本の勉強をしなければならないな、と感じました。
学習塾のオンライン授業
とはいえ、赴任先のアリゾナは田舎で、日本の受験対策をしてくれる塾などありません。
そこで、通っていた学習塾の担任の先生に渡米後もオンラインでの授業を打診、快諾していただきました。
必要な教材を購入し、アメリカに持っていきました。
(写真:アメリカに持っていった教材)
補習校をやめてスタディサプリに
赴任先のエリアにはテネシーの時と同様、土曜日だけ通う補習校があり、赴任直後から通い始めました。
しかし、通い始めて最初の授業で、元いた日本の小学校の担任との差に、がっかりしてしまった次男は、毎週通うのを渋るようになっていきました。
実は日本の担任の先生は、怖いけれど授業がとても面白く、クラス全体の学力をグンとあげることで有名なベテラン&名物先生。
一方、補習校の先生は平日現地企業でフルタイムで活躍されて、週末だけ補習校で教鞭をとられています。週5で英語をしゃべり通している割に、スピードが遅いものの日本語で滞りなく授業される、とても頭の良い先生なのですが、授業参観でやはり日本語に違和感がある、と感じました。日本語のテンポが遅く、教科書をたどるだけの授業は次男には苦痛だったようです。
補習校に行かない代わりにスタディサプリ
を始める、という条件で1学期でやめることにしました。
さて、夏休みからスタディサプリを始めました。授業は見ると、よく出来ていると思いました。が、本人としては大阪弁の先生が多く、聞き取りづらかったのと、自主的に一定のペースを保って取り組むのは、なかなか難しかったようです。
程なくして夏休みが終わり、今度は中学校の宿題に追われる毎日が始まって、とうとう自分では全く手をつけられなくなってしまいました。が、時々日本の塾の先生にスタディサプリの単元を教えていただいたりすることで、活用していました。
2. 現地校も受験を意識
学年は一つ上にしても「簡単すぎて眠い」
卒業資格が間に合わない・勉強が半年遅れている、との事態を避けるため、現地校では学年を一つ上に入れてもらいました。
しかし、一つ上の学年に入っても、授業が「簡単すぎて眠い」という次男。アメリカの公立小学校では「誰も学習で取り残されない」をモットーとしているため、日本と比べて進度がかなりゆっくりなのです。
カリキュラム進度の早い中学校へ
そんなとき、ちょうど兄が進学する高校の同じ敷地内に、「進度を早めた中学校」(Accelerated Middle School)なる学校があることを発見。入学試験を受けさせてみたところ合格。本人はのんびりとした普通の中学校へ行きたがったのですが、親としては少しでも日本との遅れをなくしたい。「嫌なら一年でやめていいから」という条件で半ば無理やり入学させました。
これが、思いがけず中学受験にチャレンジするきっかけになっていきます。
3. 急遽受験を思い立つ
中学校の進度・宿題に親子で悲鳴をあげる日々
さて、その「進度を進めた学校」が、大変でした。
英語で言うとAccelerated Middle School(アクセレレイテッド・ミドル・スクール)。その名の通り、その教育方針は、厳格で負荷の多いカリキュラム。しかしそれと併せて、個人に合わせた学習プランも唱っており、日本のカリキュラムからアメリカのカリキュラムへの移行に戸惑う息子の助けともなるかと期待していました。
が、蓋を開けてみたら、生徒全てに同じ課題が与えられ、絶対評価で成績がついく学校だったのです。
当の本人は実は難なく授業内容は理解はしているものの(テストスコアはとてもいいのです)、山のように出る宿題をやらない。内容は高校・大学で習う内容と同等か、そのイントロダクション的レベルのもので、日本で育った親としては一緒に勉強し、かなりの時間をかけて調べなければ手伝うことすら出来ないレベルで、なかなかうまくサポートできませんでした。
結果、小学校でオールAだった成績が、BとCだらけに。
もしかしたら、このままの成績で高校受験にチャレンジしたら書類で落とされるのではないか」との不安から、帰国子女受験のオンライン専門塾に相談したのでした。
チャレンジをするだけでも
専門塾の先生がおっしゃるには、「難しい学校で芳しくない成績をとるより、レベルの低い学校でいい成績をとったほうがはるかに有利です。アメリカからの受験で成績がほぼオールAであることは高校帰国受験では必須条件に近いです。。。」との回答。
ならば、まだ成績が確定しないうちに中学受験をして、帰る学校を確保出来ないだろうか・・・と相談。幸い、帰国子女枠のある学校の中に、受験をして合格をしたのち、一定期間通った後に、休学または仮退学をして海外へ戻り、再び帰任のタイミングで復学できる、という学校をいくつか見つけました。本人もチャレンジしたい、とのことで受験することになりました。
(写真:オンラインレッスン中)
4. すったもんだの受験
受験を決めた時、すでに11月も20日を過ぎていました。
受験勉強は、日本で通っていた学習塾の先生に時間を増やしていただき、さらに、TCKという帰国受験専門のオンライン塾におねがいしました。
最初のアセスメントテストでは国語・算数で偏差値は47。一方、英語は最難関も夢ではないとの評価でした。
受験を考えていた学校の中でもいくつかはすでに締め切っていたり、出願前に面談が必要だったりで、受験を諦めざるを得ない学校もありました。その中で、アメリカの学校を休める日数を考慮しつつ、「中学校で受験しておきたい」または「中学校でしか受験できない」学校3校に絞りました。
12月受験〜不合格
まずは12月に受験する1校を目指すことになりました。この学校は国・算・英語の3教科。
国・算の底上げが必須でした。算数はとにかく今まで解いてきた問題量が足りない、とのことで大量の課題が出たのですが・・・
(写真:出された算数の課題)
今ひとつ身の入らないのか、受験の厳しさをわかっていないのか、言われないとやらない息子。兄の時にも似たような状況だったので、覚悟はしていたものの、なんども匙を投げそうになりました。
さらに通っている学校の宿題も容赦無く襲ってきます。奇しくも前期のファイナルテストへの準備と受験が被って、きつい。
結局、圧倒的に解いた問題量が少ないまま受験に突入。案の定、算数が解けなかったようで、12月の受験は不合格でした。
小学校のころからいきたいと思っていた学校だったらしく、本人はそれなりに残念そうでしたが、この時点で私は「もう、受験はこれで終わりだな。1月の学校は申し込まずに諦めよう」と思っていました。
懲りずに1月受験を決定
夫は、今までの勉強態度から落ちても仕方ないと思っていたようでした。しかし、この落ちた経験を本人がどうとらえるか、で、1月のチャレンジの有無を決めることにしていたようです。
本人はわりとスッキリした顔をしているので、もう諦めたかと思いきや、なんと、「もっとがんばるから1月もチャレンジさせてほしい。」と言うではありませんか。。。
正直、彼がこれから勉強するなんてことは非常に疑わしく、それを信じる夫にも呆れていたのですが、なんだかんだで引き続きチャレンジすることになりました。
狂気から悟りに至った直前期
不合格・傷心でアメリカに戻ってからは、受験勉強だけでなく、帰国で受けそびれたファイナルテスト、山のような課題、テストを提出する、というタスクが否応無しに襲いかかってきました。併せて、毎日の宿題・次の帰国に向けての準備・受験の申し込み手続きなど、目が回る忙しさでした。
加えて、相変わらず言わなければ勉強をしない息子に、途中でとうとう夫が匙をなげてしまったのです。
なんとか夫と息子の仲をとり持ちつつ、過去問をやらせて、一喜一憂。再度担当の先生に「本当に可能性はあるのか」を聞いたり、ネットで噂されているペーパーテストの合格点(国・算は二桁行けばいい?!)に安堵したり、過去問には含まれないリスニングと面接での強さに希望を見出したり・・・と、感情的に翻弄されまくる私(苦笑)。最後には「もうどうでもいいからとにかく、楽しんで行こう!」(笑)という悟りの境地に到り、日本へと向かいました。
(写真:夜明け前の空港を後に日本へ)
「今度こそ、受かったと思う」の言葉通りに
18日夕方、日本入りし、受験校近くのホテルに泊まりました。一回も見学に行けていないので、前日に学校の周りを散策してみました。息子は学校裏の雑木林をいたく気に入ってしまったようで、棒切れを拾ったり、落ち葉を愛でたり。。。学校を見ていません(笑)。すこしぎこちない感じで、緊張しているようにも見えます。思い入れのあった学校を落ちているので、あまり思い入れを深くしないように距離を保っているようにも見てとれました。
翌日、晴天に恵まれ、「なんだかんだ、次男にしてはよく勉強したなぁ。それだけでもいい経験だった」と清々しい気持ちで会場へ。玄関には塾の先生方と思われる方々が全受験生に応援の声をかけてくださる。こんなにも可愛くて気立ての良さそうな子供達が受験して、喜んだり悲しんだりするのだなあ。選ぶ学校の先生方も大変だなあ。と胸がいっぱいになりながらも、面接時間をチェック。
12月の時と同じ、最後から2番目の枠。。。前回同様「次男の面接は最後の方で、先生たちはとっても疲れてるだろうから、楽しくて充実した時間になるようにしてあげてね。緊張してるお友達がいたら助けてあげてね。お友達できるといいね。」などと言いながら送り出しました。
試験が終わって出てきたのが16時ごろ。長かった。
「どうだった?」と聞くと、「うん、楽しかった。面接までめちゃめちゃ待ってめちゃめちゃ暇だった〜〜!でも、今度こそ受かってるんじゃないかと思う。英語だけだったしリスニングもできたし、エッセイはこれこれこう言うこと書いて・・・あと、面接では同じ教室の子で日本語の質問にUhmmm、て英語で始めちゃってる子が二人いて、でも次男ともう一人の女の子は日本語も英語もちゃんと話せて・・・」との返事。
そこから合格発表までもう、そわそわモードで全く勉強に集中できない困った息子。まあ、無理もない・・・。まだもう一校あるのに、なんだか全く身が入らない。過去問の成績も話にならない感じ。夫ではないけど匙をなんども投げそうになりました。
いよいよ24日発表の日。自分で見るのは怖いので夫に受験番号と発表サイトをメッセージして、カフェで過去問をやらせつつ知らんぷりしていました。(苦笑)
(写真:カフェにて勉強中)
すると夫からメッセージが。
「やったね、次男!」
急いでサイトで確認。すぐに合格を息子に知らせたのでした。
5. まさかの出来事
残った一校への意欲は「もう、受かったからなぁ・・・先生ももう受けなくていいでしょっていってるしなあ」などと、もう、ズルズル。そして私はカリカリ。時差ボケがぶり返す頃、と、緊張しつつほとんど前夜眠れなかった私。これでもか、と言うほどiPhoneのアラームをセットして眠りについて迎えた当日の朝。
なんと、アラームがいつのまにか、「no sound」という意味不明の無音設定になっていたらしく、全く鳴らず、まさかの寝坊!目覚めた時にはすでに現地に到着していなければならない時間でした。
呆然としつつ無意識に着替えをしながら5分迷い、このために国語と算数を頑張ってきた。本人は、別にもう、どちらでも良い、という。けれど、お世話になった先生方に、申し訳が立たない(実はすでに手遅れ)・・・などと思い、行くことに決め、本当は禁止なのにタクシーで乗り付けました(恥)。
遅刻しても、暖かく迎え入れてくださる学校の方々。校長先生が、あたたかく声をかけてくださるのが、ありがたく、そして申し訳なく思いつつ、息子は会場へ。
すでに点を取れる英語の試験は始まっていました。リスニングは一つも聞けず、2つある小エッセイも時間がなくて一つだけ。その後の国語と算数は「すごくできた」と息子。
実こちらの学校ももしも、もしも合格をいただけたらすごく迷ってしまう!などと、取らぬ狸の皮算用をしていた私。
ありえないアラームの不具合に、「これは神の思し召し」「Xファクターだ」と、思い、なんだか可笑しくさえ思えたのですが・・・そんなこと口が裂けてもは夫には言えなかったのでした。
すったもんだの中学受験でしたが、錦の旗を揚げて戻ることができ、親子で素晴らしい体験ができました。
お世話になった先生方、励ましてくださったお友達、受験をさせていただいた学校の関係者の皆様に心から感謝しています。
そして最後まで、読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。